ゼミ生に向けたコラム

このコラムは,慶應経済で専門ゼミの選択や大学院の進路を迷っている学生向けに,私自身の研究分野,指導方針,信条を纏めたものです.私の専門分野,ゼミの内容,私自身についてもう少し情報が欲しいと思っている方は,是非,ご一読下さい.このコラムは,以下の内容に関する私見が書かれています.興味を持った内容から読んでみて下さい.

1.私の専門分野はどういう分野?
2.私自身はどういう人?
3.ゼミでは何をやっているの?自分は向いている?
4.研究って何?意味あるの?

5.(実証)環境経済学のトップ・ジャーナルは?(大学院生向け)

免責事項:なるべく公平な目で書いているつもりですが,当然ながら,私自身の経験や考え方をベースに書いていますので,皆さんにとって受入れにくい情報や考え方もあるかも有るかも知れません.万が一,そのように感じた場合は,一参考情報・参考意見として受入れ,自分なりにより正しいと思う情報・考え方を自分で見つけられるよう努力してみて下さい.掲載されている情報は,2020年7月の執筆時点のものです.


1.私の専門分野はどういう分野?

私が専門としている分野は,「実証ミクロ経済学」と「(実証)環境経済学」という分野です.前者は,英語で Applied Microeconomics ないし Empirical Microeconomics と言います.日本語で「応用ミクロ(経済学)」と訳されることもありますが,単にこのように言ってしまうと,昔から存在する「ミクロ経済学の応用」と混同されてしまいますので,私はあえて「実証ミクロ(経済学)」と訳すことにしています.

この分野を厳密に定義することは中々難しいのですが,ブラウン大学のウェブサイトでは,次のように紹介されています.

“Applied Microeconomics applies theory and econometrics to economic questions. The use of data and econometric methods to test microeconomic theory. Applied micro is an umbrella term that includes labor, urban, education, industrial organization, public, health, and environmental economics.” Economics Department, Brown University

つまり,ミクロ経済学理論とミクロ計量経済学手法を応用して実証分析を行う分野ということなのですが,このように言ってしまうと,「昔からやられていたミクロ経済学の応用・実証と何が違うの?」と思うかも知れません.実は,幾つか異なる点があるのですが,その中でも最も大きく異なると考えられる点が一つあります.それは,実験・準実験手法(統計的因果推論手法)の厳密な適用を重視するという点です.

過去数十年間に,経済学分野の実証研究は大きく様変わりしました.20~30年前にはOKと考えられていた実証データ分析の多くは,現在のスタンダードでは,信頼性の低い分析としてトップ・ジャーナルには掲載されないようになってしまいました.複雑な計量経済モデルの推定プログラムを回すことが中心であった古いスタイルの分析は「実証研究」として認められなくなり,代わって,厳密な「研究デザイン」「データ構造」に依拠する実験・準実験こそが「実証研究」として考えられるようになりました.つまり,現実のデータの中に,因果効果を推定できるようなデータの外生的変分が存在しなければ,いくら複雑なモデルを回しても信用に値しない,と考えられるようになったのです.このような変化を,実証研究における「信頼性革命(Credibility Revolution)」と呼ぶことが有ります(Angrist-Pischke, JEP, 2010).

私がPh.D.を取得したのは,ちょうどこの「信頼性革命」の真っただ中でした.私は,ミネソタ大学の応用経済学研究科という所でPh.D.を取得したのですが,当大学院の計量経済分析の講義では,秋学期に,William H. Greene の『Econometric Analysis』をベースに,OLS推定量,IV推定量,ML推定量の性質を逐次証明しつつ演算プログラム(Gauss)を使って確認し,春学期には,Jaffrey M. Wooldridge の『Econometric Analysis of Cross Section and Panel Data』をベースに(他の教科書も参考にしながら),パネルデータ手法,プログラム評価手法,ノンパラメトリック推定法,時系列分析の理論を学びながら(≒証明を行いながら),Stataによる実証分析で確認していくという内容でした.これだけでも,日本の大学院カリキュラムと比較すれば,かなり充実したカリキュラム内容ではあった訳ですが,「信頼性革命」はこれらのさらに先にあり,その当時の大学院カリキュラムでは独自に学ぶ必要が有りました.そのため,卒業後に Williams College の Economics Department に助教授として赴任した際,同僚の研究内容に衝撃を受けることになりました.当時,Williams College には,IO・労働系の優秀な実証経済学者が多かったのですが,彼らは既に信頼性革命後の研究手法をベースに極めて質の高い研究を行っていました.その当時,私はどちらかというと応用理論の研究者だったのですが,その後,実証ミクロの研究者へと進路変更をするきっかけになった一つが,この Williams College での経験でした.

もう一つの「(実証)環境経済学」という分野ですが,英語では,Environmental Economics ないし Environmental and Resource Economics と言います.こちらも厳密に定義することは中々難しい分野です.誤解を恐れずに簡潔に定義すると,「環境経済学」というのは,地球温暖化,大気汚染,水質汚染,生態系破壊といった様々な環境問題の原因を解明し,その解決策となるような施策・制度を考えるための学問体系ということになります.ですが,上述のブラウン大学の記述にある「実証ミクロの一分野としての(実証)環境経済学」は,日本の教科書で紹介されている「環境経済学」とは少し趣が異なっています.

過去数十年間,応用理論系の研究論文で新しく重要な知見が得られることは極めて少なくなり,実証系の研究論文のシェアが急拡大しました.同時に,環境経済学の実証研究にも「信頼性革命」が起こり,厳密な実験・準実験デザインに依拠しない環境評価手法は,(少なくともトップ・ジャーナルでは)実証研究として認められなくなりました.また,欧米の一流大学の経済学Ph.D.プログラムから環境経済関連の研究を行う経済学者が多数輩出されるようになり,極めて質の高い環境経済系の実証研究者が誕生するようになりました.例えば,Antonio Bento, Lucas Davis, Michael Greenstone, Meredith Fowlie, Ryan Kellogg, Christopher Knittel, Nick Kuminoff, Joseph Shapiro, Reed Walkerなどです.さらに,産業組織論,労働経済学,国際経済学,行動・実験経済学など,他分野の最先端の知見や手法が積極的に採用されるようになり,「環境経済学の実証」というよりも,「実証ミクロ経済学的な分析手法を使って環境に関連するテーマを分析する分野」という意味合いの方が強くなってきたように思います.

現在,私が興味を持って研究を行っているのは「交通と環境」というテーマなのですが,伝統的な環境経済学の分析枠組みで研究できるような内容ではないため,「交通経済学」「国際貿易」「産業組織論」「都市経済学」など,他の分野の教科書や研究論文を独自に学びながら,伝統的な環境経済学と融和させていくという地道な作業を行いながら研究しています.そういう意味で,これまでとは全く違う内容・スタイルの「新・環境経済学」とでもいうべき教科書が書かれる必要があるのではないかと思っています.

※ 信頼性革命以降に多用される操作変数法,差の差の法,回帰不連続(分断)法などは,手法や考え方自体は古くから存在していましたし,これらを使った分析も「信頼性革命」以前に数多く存在しています.したがって,「信頼性革命」という言葉は,こういった手法の新しさを意味するものではなく,手法を適用する際に,データの中に準(疑似)実験構造が存在することを論理的・実証的に丁寧に確認(デザイン)した上で実証分析を行うことを意味します.これらの手法を適用しているからといって,必ずしも信頼できる実証研究とはならないことは,理論的・実証的に証明されています.また,「革命」という言葉は,Majorityを獲得したときに使用される言葉です.「信頼性革命」を先導してきたトップの研究者は,1990年代に既に多くの研究論文を発表していましたが,彼ら以外の多くの研究者に浸透するようになってきたのが2000年代だと認識しています.


2.私自身はどういう人?

恐らく,アカデミアの中ではいたって普通の人間です.天才でも無く,秀才ですら有りません.私よりも頭の良い人間は無数に存在します.私を知る多くの人は,私をアカデミア向きというよりは普通のビジネスマン向きと考えるでしょう.ただ,私よりも遥かに頭の良い天才的な人と比べても,経済学分野における教育と研究の能力はさほど遜色ないようです.

私はこれまで,私よりも遥かに頭の良いはずの人(東大・京大を首席で入学・卒業できてしまうレベルの人)が必ずしもアカデミアで成功しない一方で,それほど天才的と思えないような人が「天才」として成功していく不思議さを目の当たりにしてきました.例えば,とある米トップ大学の A氏は,若くして同大の教授になったスター研究者ですが,ミネソタ大でミクロ経済学や数学の授業を一緒に履修していた頃には,今のような成功を予想させるような天才性を感じることはありませんでした.というのも,同じ同級生の中には,他にもっと天才的な頭脳を持っていると思われる方が沢山いたからです.(2024/5追記:以前は本名を記載していたのですが,多くの方に読まれるようになったため,ご本人の了解無しに書くのは失礼かと思い,お名前・所属は削除させて頂きました).

人間の能力には,

(1) 解決すべき問題・疑問を考える能力
(2) 問題・疑問を所与として,その解決策・解法・公式を考える能力

(3) 解決策・解法・公式をもとに,実際に問題・疑問を解く能力

の三種類があります.日本の受験勉強は,(3)の能力を徹底的に追及します.ですが,どうやら,アカデミア,ビジネスを問わず実社会で成功する人というのは,(3)の能力ももちろん必要では有りますが,それ以上に(1)・(2)の高い能力が必要不可欠なようです.私がこれまで見て来た「成功者」「天才」達は,間違いなく(1)・(2)の能力が常人よりはるかに優れている方達でした.恐らく,今このコラムを読んでいる皆さんは, (3)の能力が極めて高い皆さんかと思います(高校時代の偏差値70~80でしょうか?).では,(1)や(2)の能力についてはどうだろう,と自問自答してみて下さい.

私は,学生を指導する上で,(1)と(2)の能力を伸ばすことを重視しています.それは,「優秀な学生にとって,優秀な指導者・教育者とは,その学生のポテンシャルを最大限に伸ばしてくれるような指導者である」と思っているからです.スポーツでもそうですが,天才が真に才能を開花させる為に必要なのは,その人と同じぐらい天才的なプレーヤーでは無く,その人の才能を最大限に引き伸ばしてくれる指導者でしょう.学問の分野では,それは,(1)と(2)の能力を鍛えることを意味します.そもそも間違った問題を解いてしまうと,いくら天才的な能力を持っていても,「成功者」とも「天才」とも呼ばれないのです.上智でも筑波でも,とても優秀な学生が私のところに集まって来てくれていたのは,そういった私の指導者としての能力に惹かれて来たのだと思います.

このような指導方針の背景には,自分自身の苦い(?)経験も有ります.私は高校生時代そもそも大学に行くべきかどうかに悩み,高校三年生の夏には司馬遼太郎の「竜馬が行く」を読み耽り,自分が将来何になるべきか考え続けていました.結局答えは出ず,ようやく10月頃になって「何もやるべきことが思いつかないのであれば,取りあえずは大学に行ってみよう」と思い受験勉強を始めました.きちんと受験勉強をしたのはわずか3か月ほどにすぎませんでした.そのため,ミネソタ大学で数学科の大学院科目「解析学」を履修させられたときは相当苦労しましたし,大学教員になって入試問題作成を依頼された時にも(受験問題に関する知識が殆どないので)そこそこ苦労しました.ちなみに,高校の勉強が出来なかった訳では有りません(偏差値70~80は我々の世界では“普通の人”に過ぎません).数学・物理などは,授業中常に居眠りし,家でも全く勉強したことは有りませんでしたが,常に学年で10位以内には入っていたはずです.むしろ高校時代の勉強は簡単過ぎて,退屈していました.その後,国内の某大学法学部,米国の某行政大学院,某証券会社の投資調査部と渡り歩く訳ですが,最終的にミネソタ大に進学するまで,自分の進む道を迷い続けていました.


3.ゼミでは何をやっているの?私に向いている?

当ゼミは,2020年に発足したばかりのゼミです.現在は,前任の筑波大学の指導学生(修士4名,博士1名)と慶應大学ゼミ生(三年生2名)と合同でゼミを行っています.2020年度は以下のことを行うことにしています.

  • 計量経済学,統計的因果推論の教科書・文献の輪読
  • (ゼミの先輩による)計量分析ソフト「Stata」の実習
  • 環境経済学の教科書・文献の輪読
  • 自分自身の研究テーマ(三田祭・卒論)に関する中間発表

計量経済学,統計的因果推論の教科書には,以下のものを使用しています(予定も含む).

  • 田中隆一(2015)『計量経済学の第一歩』有斐閣ストゥディア
  • Wooldridge, J. (2005) Introductory Econometrics: A Modern Approach. South-Western Pub
  • Angrist, J. and J. Pischke (2008) Mostly Harmless Econometrics. Princeton Univ. Press

環境経済学の教科書には,以下のものを使用予定です.

  • Phaneuf, Daniel J. and Till Requate (2016) A Course in Environmental Economics: Theory, Policy, and Practice. Cambridge University Press.

いずれも学部三年生にとってはかなり難しい内容になりますが,上述の私自身の経験から,たとえ今は難しくても早めにレベルの高いものを経験しておくことで,どのような道に進むにせよ,最適な意思決定を行うことが出来ると思っています.

現在の実証研究では,因果効果の検証の際に,数学的な証明問題に近い(同じではありませんが)論理的手続きが取られるようになりました.そのためか,同分野で研究を行う人は,応用理論でそこそこの学術誌に論文をかけるほどミクロ理論に精通している方が多いと思います.論理的・数理的に物事を考えることが好きだけれども,現実の人々や企業の行動にも興味があるという人,データを使って環境問題を考えてみたいと思っている人は当ゼミに向いています.

2021年度は,これに加えて,三田祭論文・卒業論文のために長期的に一緒に活動するスタディー・グループと,時事問題を議論するために数週間単位で活動するグループとを作り,前者では専門知識・分析力・スキルの獲得と,後者ではコミュニケーション力・情報収集力・情報発信力の獲得を目指せるようなゼミにしたいと思っています(十分な学生数がいないとできないので,やる気のある優秀な学生の応募をお待ちしています.ちなみに,私はスポーツ好きです.能力は,40代の平均レベルでしかありませんが,フットサルが一緒にできるぐらい集まってくれると嬉しい!)


4.研究って何?意味あるの?

私は,「研究」とは,「アカデミアによる最も重要な社会貢献活動」であると考えています.もちろん,研究には,研究者自身が好きだからやっているという側面は否定できません.たった一つの難題を,延々とそれこそ数百~数千時間掛けて考えるという作業をするのですから,当然,それ自体を研究者自身が(ある程度)楽しめるものでなければ,研究などできません.しかし,一方で,単に自分や自分と同好の士にとってのみ面白いようなものを「研究」と呼ぶことはできません.自分と同好の士以外の人(それもなるべく多くの人)にとっても役立つ重要な知見を提示するもの,社会貢献という使命感を持って行うものを「研究」と呼ぶのです.

一昔前は「良い研究者と良い教育者は別物である」あるいは「学術的意義の高い研究と政策的意義の高い研究は別物である」という見方が一般的だったように思います.ですが,少なくとも現代の経済学,特に実証系では,良い研究者であることは良い教育者の必要条件であると思いますし,学術的意義の高い研究は,同時に政策的意義の高い研究でもあると思います(但し,必要条件ではあるけれども,十分条件とは限りません).

私が考える「実証ミクロ経済学における良い研究者」というのは,(1)問題設定,(2)既往文献の理解・解釈,(3)データの収集・整備,(4)理論枠組みおよび理論的仮説の設定,(5)識別・推定戦略の構築,(6)推定プログラムの作成,(7)論文の執筆(論理展開),という研究の全ての段階を自分自身で行っている研究者を意味します.もちろん,研究者によって多少のスキルの偏りは存在しますが,少なくとも私の知る良い研究者は,上で示した研究の全ての段階において一定以上の責任を持って研究を行っており,アイデアだけ出して最後に投稿論文の最終チェックだけするような悪弊とは無縁です.

このような意味での「良い研究者」は,「良い教育者」であることが多いと思います.なぜなら,そのような研究者は,講義全体をあたかも研究と同じようにデザインするからです.私自身,各講義の資料を作成する際に,まずはその講義のテーマに関して「鍵となる問いは何か?」と自問自答します.そして,その問いに対して,これまでの研究からどういうことが分かっていて,どういうことがまだ分かっていないのか,最低でも3冊程度の教科書や数本の研究論文を参考にして纏めて行きます.そして,それらのエッセンスを対象学生が分かるように説明するには,どういう順番でどのように説明すれば良いかを考えます(良い研究者は,自分の研究を,相手にどうクリアに伝えるかも考えます).また,経済学の最先端の内容は常に進化しており,「問い」に関する適切な答えを伝えるには,常に第一線で戦う姿勢を持っている研究者である必要があると思います.

また,学術的な意義が高い研究というのは,定義上,権威ある学術誌(いわゆる「トップ・ジャーナル」)の査読者が評価する研究です.なぜなら,権威ある学術誌の査読者は,その分野で学術的業績を認められたトップ研究者であるからです.では,そのような研究が,同時に政策的意義も高い研究であると言えるでしょうか?少なくとも,私の研究分野では,答えは「Yes」です.トップ・ジャーナル(学術誌)に掲載されるような経済実証系の研究論文は,ほぼ確実に,政策的に極めて重要な科学的な知見・エビデンスを提示しています(トップ・ジャーナルの定義は下に示します).その理由の一つは,トップ・ジャーナルは,(経済実証系の論文に対して)以下の三要件に関する厳しい基準を要求しているからです:

(1) 汎用性の高い新しい知見
(2) 学術的及び政策的に重要な知見

(3) 科学的根拠(理論・実証)に基づく正しい知見

したがって,一昔前のように,自分と同好の士だけが興味を持つような研究がトップ・ジャーナルに掲載されることは,(少なくともの経済実証分野では)まず無いかと思います.また,効果的な政策・制度のデザインには,厳密な科学的根拠に基づく正しい知見が必要不可欠ですが,こちらの拙稿で書いているように,そのような科学的根拠は,限られた研究者の長年の積み重ねによってしか得ることは出来ません.

当然ながら,そのような知見・エビデンスが実際に有効活用されるか否かは,政策当局がその知見・エビデンスをどれだけきちんと理解できるか,政治的な配慮では無く,本当に国民・社会にとって良い政策・規制を立案しようと努力しているかなどに依存してしまう訳ですが,仮に有効活用されなかったとしても,それによって質の高い科学的知見・エビデンスの社会的・政策的意義が失われる訳ではないでしょう.


5.(実証)環境経済学のトップ・ジャーナルは?(大学院生向け)

こちらを参照.

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